行く年来る年への道・続き。
昨日の続きです。
1981年。
まだ2年目なんですけど(苦笑)、ラテ欄に食いついてる5人の男たち。タイムショックとか林家三平さんとか懐かしい感じですな。(あんた誰)そして伊東四朗さんの思い出からつるべさんのつらい仕事の話に。
「虎の檻に入れられて、熱湯かけられた」
え?ダブルですか(by上田さん)?どっちか1つだけでもありえないのに2つ一気って…。すっげぇ。でも当時より今は動物使うのも厳しくなってるらしい(by亮くん)らしいですけどねぇ。ここからくりぃむ・ロンドンブーツがそれぞれ経験してきたつらい仕事の話をすることに。まずくりぃむ上田さん。
「ガッツ石松さんと本気で戦って、幻の右を入れられた」
え(爆)。なんでも、芸人ボクシング大会かなんかで優勝した上田さん。そこでレギュラーになるためにガッツさんと戦う羽目になったんだとか。しかもその時点で準レギュラー候補になってたらしいです(苦笑)。なんだそれ。で、最初はオチャラケでやってたらしいんですけど、思わず一発入れてしまったばっかりにこうなってしまったようです。しかも直後に
「お前薄いグローブだったら死んでたよ」
…グローブが厚くてよかったですね(涙)。そして上田さんの中では
「動物よりガッツが怖い!」
という結論になってるんだとか。怖いわ。
続いてロンドンブーツの場合。こちらもまたガッツさん(笑)。亮くんが本気でぶんなぐられたと言う淳くん。なんでも
ガッツさんが思いっきり寝てるところにこしょうかけたらぶんなぐられた。
らしいです(苦笑)。というか、たぶんこれぷらちなの「NOT100」シリーズでしょうね。極楽さんと一緒だったってたし。極楽さんのラジオに亮くんが出てきたときにもこの話してました。「♪ガッツがくるぞ〜ガッツがくるぞ〜」って曲があったらしいし(笑)。ちなみにくりぃむも出演経験があるようで淳くんが詳しく説明しなくても分かってました。昔から共演してるんだなぁ。
で、被害者亮くん(笑)はこれにプラスして正座して謝ってたとこにビンタされたらしいです(爆)。謝っても許してくれないってつらいわ。そのほかにも山本小鉄さんに思いっきりグーで殴られたなどとかなり被害者らしいです、亮くんって。そして
「動物系より人が怖い、ああいう系が。」
という結論に至ってたのでした。あーでも亮くん自身もそういう系ですよ(笑)?淳くんが殺されかけた伝説もいくつかあるっぽいし。…怖え。
1982年。
やっと3年目。なのに…もう1時間(爆)。半分終わったがな。ちなみにアラームがなってたので最初は電話とかと勘違いされてました。
で。師匠が出てくるとこまで淳くん(進行)としては急ぎたい…のに。プロレスを見つけてしまいました(笑)。ここはロンドンブーツ・くりぃむ世代の男の人としてははずせないそうで。特にくりぃむ2人は局がなくて3週間遅れ、しかも深夜ながら見てたそうで。すごい根性。でも分かります。そして亮くんもそこに乗ってたんですけど、約1名ぜんぜん見てなかった人が。…淳くんです。この話は聞いたことあるんですけど、くりぃむ2人は初聞きやったようでびっくりしてました。確かにすっごいはやってたらしいのに見てないのは珍しいですよねぇ。テレビ局に問題があったわけではない(ネット局はあったって意味)のに。
でも、この同世代トークを邪魔するプロレスを知らないつるべさん(笑)。しかも自分の名前やらネタを探してたそうです(苦笑)。で、なんでかジャイアント馬場さんの弔辞を読むことになってしまったそうです(!!)。なんちゅう運命やねん。本人もぜんぜん分かってないのに。しかも馬場さんと戦ったこともあるらしいし(!!)。なんでもつるべさんの番組で呼んだらしいです。でも
「軽く踏まれただけで痛かった」
らしいです。さすが…。で、仲良くはなったそうです。プロレス見に行ったこと1回しかないらしいのに。それもゲストのつながりだったぽいし。そしてプロレスはまってないのに一番話し、淳くんとプロレスにはまってないもの同士話したりして亮くんとくりぃむ2人のはまってる組をとりのこしていったのでした(笑)。ちなみに有田さんとしてはくりぃむはプロレス好き同士で組んだ、といういい話をしたかったらしいです。
で、次は朝のワイドショーのラテ欄にはまった皆さん(笑)。確かに壮絶ですわ。テレビ雑誌がなかったから…ってのもあるんでしょうけど。
1983年。
時間がなくなってきました。のにまたプロレスです(笑)。そしてプロレスヲタ3人は「すごいですね、その記憶(by淳くん)」ってぐらい覚えてるのでした。20年以上前だよ、これ。
それ以外にもロンドンブーツ・くりぃむどんぴしゃのこの年。確かに当時くりぃむ2人が中1、亮くんが小6、淳くんが小4だもんなぁ。ただ淳くんはちょっと若いから1つ差の3人中心でしたけど。ってかくりぃむと亮くんって1つ差なんだ。そういえばドリマチで調べたとき誕生日の都合上亮くんと有田さんが同じ年になってたし。
…まぁいいや。で、このプロレスとお笑いスター誕生!がくりぃむを結びつけたきっかけ、という前の年に言いそびれた話を。…でも師匠が新聞に夢中で話しそびれたのでした(苦笑)。もう。
でもつるべさんはでてこない(爆)。関西版なら出てくる!といってましたが。確かに亮くんが一番「出てるはず!」ってたし。
で、ひょうきん族とドリフが同時にやってたのでどっち見てた?という話になり。ここでも亮くんとくりぃむ2人はほぼ一緒で
ドリフ→ひょうきん族→一時カトちゃんケンちゃん→ひょうきん族に戻る
という流れだったそうで。一方淳くんは
ドリフ→ひょうきん族がはじまったのに気づかない→気づいたら話が違っててあれ?
だったそうな。やっぱり2つ3つ離れてるだけで微妙に違うんですね、これ。あ、つるべさんは出なきゃいけないのに「おもしろいわー」って見てたそうです(笑)。ダメじゃん。出演者より年上なのに。事務所も関係ないのに。…昔からそういうポジションなのかよ。
あとは人形劇に紳助さん・竜介さんが出てきたりしてました。というかそれを見てた淳くんって…意外と厳しかった、彼の家?
次に有田さんが目をつけたのは「ベストヒットUSA」。この回に出てた“カルチャークラブ”のボーイジョージさん(表記失念)に亮くんがあこがれてるのを知ってて振ったぽいんですが…勝手にドラムの人好きにされてましたとさ(笑)。本人の言いようからすると違うんでしょう。「勘弁してくださいよー」ってたし(笑)。
そしてなぜか「女の60分」を昼間から見てた田村淳さん(笑)。え!?っと一瞬思ってしまいました。お母さんの影響でしょうかね?さっきからなんか違うなぁ、淳くん家のテレビ習慣。ま、ちょっとエロかったらしいですけどね。でも最終的にはNHKの体操がエロい、っていって総突っ込みを食らっていた師匠なのでした。
そしてここで3局になった熊本出身の有田さんから後々の話を。「スターボーリング」って番組があったらしいんですけど、後々司会をしてたそうです。…ってことは10年以上続いたんですね、この番組。すごい。でも師匠に
「あの番組そんなにスターでてへんやろ?」
といわれてしまい(爆)、淳くんにも
「何をもってスターとするか…やだ、もうこんなフォロー。」
と投げられてたのでした。…確かに(え)。
1984年。
師匠も出てない、淳くんも見てない年だった(え)ので次へ。というかまだ私生まれてないのにあと40分ぐらい*1(苦笑)。で、早速上田さんが見つけたものは…“春やすこ”さん(笑)。確かに松竹の後輩だけどさぁ。そして「笑っていいとも!」が始まってました。一方でてこない師匠。落語始めたの3年前らしいし(苦笑)。
ここで師匠の認知度調査。当時10歳の淳くんはぶっちゃけ知らないと。というか、本人は11歳のち9歳と言いなおしてましたけど、どう考えても10歳です(笑)。この年の12月で11歳なはずなので。で、2個上かつ大阪出身でもある亮くん(当時12歳)も知らない。そして亮くんの1つ2つ上のくりぃむ(当時14歳(上田さん)、13歳(有田さん))も知らない。そして「突然ガバチョ」ってつるべさん出演で有名な番組が…って話になったときに淳くんがカミングアウト。
「突然ガバチョも実は知らないです。」
…え!?亮くんじゃないですけど
「いまさら言うな!!」
ですよね(苦笑)。前のほうでこの話出てたんですけど、そん時は知ってる風だったし。だめじゃん。で、大凹みの師匠に対して
「リアルタイムで俺師匠のことあまり知らない…」
というとどめの一言を言う淳さん(爆)。最低…(笑)。亮くんとくりぃむ2人は必死こいてフォローしてましたけどね。でも地方だったらそうかもしれない…と私もフォローしてみます(え)。あ、でも熊本のほうが地方か。…すいません。
でも冷静に考えたら師匠は出てない、という話になり
「初めて出た全国区の番組って何ですか?」
と聞く有田さん。そして上田さん、淳くんも乗ってきて…困った師匠の一言。
「なんもブレイクしてない…」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工(また使った)その「突然ガバチョ」も3ヶ月しか出てなかったらしいし。なにそれ。そして観念(?)した師匠は
「なんか万引きして捕まった人みたいや…」
とぼやいていたのでした(笑)。で、どう考えても師匠のブレイク番組が出てこない一同。
「もしかしたら師匠をはじめてみたの笑っていいとも!かも…」
という衝撃の一言(もち淳くん)も飛び出し、だんだん「師匠に気を使う番組(by上田さん)」となっていったのでした。しかも師匠本人も説明できてないし(苦笑)。だめじゃん。
1986年。
師匠が思い出してここまで飛ぶ。でも、出てた「笑って許して」が雨傘番組(爆)。「すっげぇついてねぇ。(by淳くん)」
そして師匠より先に見つかった人約1名。ドラマに出てきた「田村亮」さん(笑)。…もちろんロンドンブーツの亮くんではなく俳優さんのほうです。見つけた淳くんは
「これ亮に加算してもいいんじゃない?」
と。本人も
「カウント、これ、ありあとございます*2」
…なんでやねん(笑)。師匠は「そんなもんあるかい!」って言ってましたけど(笑)。同姓同名って有利なのね(え)。
そして師匠の番組を探すのをそっちのけでほかの番組の話に走る人たち。そしてついに師匠が
「こんな番組企画すんねやったら、俺を探してライン引いとくとかしといてくれや!」
と注文を(笑)。いやー、そこまでしなくてもいいって思ってたんでしょうよ。必死でフォローしてたし。そして上田さんの
「年代関係なく師匠を見つけたら勝ちにしない?」
という発案で「鶴瓶を探せ!」がスタート(爆笑)。ってか自分で書きましたけどなんだよ、これ(笑)!?
1987年。
でも、ゲームが始まったら見つかるもので。師匠本人が「笑っていいとも!」で発見したのを手始めに、「世界まるごとHOWマッチ」
1988年。
「鶴瓶の聞けば聞くほど」・「今夜は最高!」と次々と見つかるのでした。しかも全部本人だったりしたんですけど(笑)。でも見つかってよかったですよねぇ。もうさすがにやばかった(?)でしょうし。
「師匠!必死じゃないですか!」
って上田さんに言われてましたけどね(笑)。ってか見つかるまで1時間半ぐらいかかってるのかよ(笑)。グダグダ最高。
1989年。
ここの「歌謡びんびんハウス」にも出てた師匠。
1990年。
ここで「パペポTV」という上岡竜太郎さんとやってた番組がスタート。これからも分かるように、師匠は知らぬ間に出てきたようです(笑)。なんだそれ。まーでもそのうれしそうな顔もすべて新聞紙に隠れてた(これは淳くんが言った)んですけど(笑)。本人無駄に嬉しそうやったし。
で、この番組は関西で1年やってから全国区だったそうで。亮くんはずっと観覧にいってたそうな(!!)。すげぇ。で、高3のときに収録とかぶってた単位を落としそうになったそうな(苦笑)。結構行ってたらしいですけど、そこまでやる情熱がすごいわ。それで、芸能界に入って師匠に初めて会ったときそれを言ったそうなんですけど、師匠は
「ホンマに覚えてるよ」
と言ったそうで(笑)。亮くんは
「絶対に覚えてるわけないやろ!!絶対にありえへん!!」
と思ったそうですが(笑)。淳くんいわく「口癖」だし。亮くんも「ホンマに言(ゆ)うた」ってびっくりしたそうです(笑)。で、
「初めて会って感動したでしょ?」
って上田さんに聞かれた亮くん。当時は
「感動しましたよ、本当に。」
だったらしいですが、今では
「その人に対して突っ込みを入れてる」
と有田さんに言われるぐらいの状態になってしまったようで(苦笑)。上田さんに
「未だに感動はあるの?」
と聞かれても速攻
「今はまったくないです!!」
と答えるぐらいになってしまったのでした。…過去の栄光、今は…ですね(爆)。
1992年。
くりぃむはデビュー済み(1991年ぐらいデビュー)らしいんですがバンバン出てるほどではないようで(爆)。ロンドンブーツにいたっては1994年吉本なんで絶対出てないし、コンビ自体も組んでない状態です。一方師匠は「眠れない夜を数えて」というドラマに出演中。で、実は刑事でいい役だったはず…だったのに脚本と主役組の連携がうまく行かなくてつるべさん自身も右往左往するしかなかった、という裏話をしてました。
ちなみに、ここになると「クイズ!年の差なんて」やら「とんねるずのみなさんのおかげです」などとちらほら私自身が知ってる番組が。…当時7歳です。
1993年。
で、ブレイクした番組の話になり。まだ(この時点では)デビューしてないロンドンブーツは後々「あなあきロンドンブーツ」やら「暴(あば)ロンブー」やらブレイクした番組があった、と言う師匠。一方くりぃむには
「お前らそういう番組ないやろ」
「俺のタイプやろ」
と一刀両断(by上田さん)。いや、そういうわけではないと思いますよ??上田さんは「すきま産業」ってましたけど。確かに(え)。そして「何があんねん?」と聞かれた有田さんが答えたのは
「ズバリ言うわよ!」
…ロンハーの裏だって!!(苦爆)ロンドンブーツ&ロンハー班中心(と思われる)スタッフの苦笑が複雑ですわ。ってかあれ細木先生の番組やん(笑)。ま、ネタにしてしまう有田さんがすごいですけどね。あ、でも裏に出てるのにこうやって深夜で共演したりプライベートでも仲良いんだからこっちが思ってるよりはそこまで思ってないの…か?(よく分かってない人)私的にはロンハーとかぷらちなとか言うのもありやと思いましたけどね。ズバ言うの前のブラメでくりぃむは2人とも引っかかってたわけやし(爆)。クルトンと花キューピットですよ(笑)。
1994年。
くりぃむ(当時海砂利水魚)が初登場。なんでも深夜の「ガハハ」って番組の“お笑い野球拳”ってコーナーに出演してたそうです。低俗な番組(by師匠)だったそうですけど(苦笑)。でもレギュラーなのはよかったことだったよーな気がしますけどね、私。
ちなみにこの年やっとロンドンブーツは吉本入り。で、ちょうと家なき子がはやってた時期だったのでオーディションの500組中半分近くがそれの関連ネタをしてたそうです(笑)。なんちゅう集中。2人はすっごい懐かしそうに話してましたけどねー、それ。でもその中で現在残ってるのは4組*3だけって考えると感慨深いですよねぇ。
今日はここまでと言うことで。明日で終了します、確実に。